先日、嚥下障害のある担当患者さんが亡くなりました。


先日、嚥下障害のある担当患者さんが亡くなりました。
その患者さん(Aさん)も、御家族もとても良い方々でしたし、
この一年私が1番熱心に関わった患者さんの1人でした。

Aさんはよくリハビリが終わると、「寂しいからもう少しここにいて。」と言ったり、何とか引きとめようと用事を頼んだりと、可愛らしい方でした。Aさんは嚥下障害が重度で、長く口から食べておらず、よく「ご飯が食べたい」とおっしゃっていました。私も何とかして少しでも食べれるようと、毎日リハビリを実施しました。

Aさんの嚥下障害は少し改善しましたが、誤嚥のリスクが高く、経口摂取(口から食べること)が困難な状態でした。3ヶ月ほと経過しても大きく改善ぜず、胃瘻を造設し、そこから栄養を摂取することとなりました。

私は何度もリハビリの方針に悩み、主治医と話し合い、他のリハビリスタッフとも相談しました。勉強会にも赴いて、役に立つと思える技法を学びました。しかし、Aさんの嚥下障害は慢性的であり、少し改善したかと思うと肺炎になって寝たきりの状態になって、また元にもどってしまう状況でした。Aさんは肺炎を何度も何度も繰り返し、徐々に衰弱していきました。

Aさんの生きたいという思いとご家族の看病で、何度も危ないところを持ち直しました。その度に、ご家族は、「お父さんは生命力が強いんです。」とおっしゃていました。Aさんが亡くなる前日も、「強い人だからもう少し頑張ってくれそうです。」と気丈にふるまっておられました。その翌日、Aさんは亡くなりました。私は霊柩車にのるAさんをお見送りしながら、「家に帰らせてあげたかったし、食べさせてあげたかったなあ。」と悔しい気持ちでいっぱいでした。

そこに主治医がきました。主治医は家族さんに、「胃瘻のところは縫っといたから、向こう(天国)で食べてはると思うよ。」と声をかけました。それを聞いたご家族は、「本人も喜んでると思う。」と泣いていました。わたしは泣くのを耐えられず、走ってその場を離れました。私が食べれるようにしてあげたかった。そんな悔しい思いがこみ上げました。

また、胃瘻を塞ぐことは一般的な死後の処置かもしれないけれど、思いやりのある一言を添えた主治医の行動に対する感動もありました。その先生はある時は夜遅くまで私のAさんに対するリハビリの方針を聞いたり一緒に考えてくれたのです。そしてご家族の思い。Aさんの死は悲しかったけれど、ご家族はできる限りの事をしたし、Aさんは本当に最後までよく戦ったと納得できる最後だったのだと思います。

私はAさんとご家族と共に、Aさんの長い人生の最後の1年を一緒に過ごせたうちの1人として感謝したいと思います。そして、Aさんとの一年でとても多くのことを学ばせて頂いたので、今後も学ばせて頂いたことを、多くの方のために役立たせようと思います。

コメントを残す